教室に正義を!いじめと闘う教師の13か条

この本は「教師を支える会」代表であり、スクールカウンセラーの方が書いたほんです。

 

スクールカウンセラーの方が書いた本ということで、子供たちの気持ちに寄り添う点はプロでもいじめを解決することはできないという実情を知っているので、正直あまり期待せずに読み始めましたが、読後感はすっきり!

とても共感できる本でした。

 

著者は「いじめ対応の王道は、いじめを許さない正義の感覚を育てること」と仰います。

まさにその通りだと思います。

 

著者の方が、いじめ問題の根深さに気づいたのは大学生のカウンセリングをしているときだったといいます。

 

学生相談をしていると、死にたいと訴える若者たちが少なくありません。また実際に自殺未遂をしたり、繰り返したりする学生も少なくありません。私のこれまでの経験で言うと、自殺を試みる学生、死にたいという学生の7-8割は、小中学校で何等かのいじめを体験しています。いじめのダメージはそれほど重いのです。

中略

いじめは、いじめられている子供を強い自己否定の状態におとしめていきます。こんな自分なんか値打ちがない、生きている価値がない、友達になるに値しない…そのような強い自己否定感にとらわれ、自殺に至ってしまうのです。

カウンセリングのご経験から、いじめられている子は自分がいじめられていることをなぜ言えないのかという点についても3つ明確にあげています。

1、親に迷惑をかけたくない、心配させたくない

2、先生に言うともっといじめがひどくなる

3、先生に言って、学校で指導が行われると、自分がいじめられていることが周囲に知られてしまい、いじめの事実が固定化されてしまうのがこわい

3つ目は、冷静に自分自身でいじめについて考えた上での対処で、いじめは一時的なものでそのうちターゲットが移っていく、だからその期間は「何もないこと」にしておくのが一番いい〈自分だけが我慢をすればいい〉と考えるのです。しかし、実際はこの無抵抗によりいじめは長期化していってしまいます。

 

その他いじめ認知件数等は、他の関連書籍でも触れいますので割愛しますが、カウンセラーらしくとてもいじめ被害者の心理がわかっているので、以下参考になることをご紹介いたします。

教師と保護者が言ってはいけない3つの言葉

1、そんなことぐらい気にしないようにすればいいのよ

2、もっとあなたが強くなればいいのよ

3、あなたにも悪いところがあるよね

教師や保護者は、「いじめに負けない子になってほしい」と願います。私もそう思う気持ちはあります。それを願うのは悪いことではありませんが、しかし、現在ただ今いじめ被害に会い続けている子にとっては、これは「あなたが悪いんだ」「弱いあなたがだめなんだ」と言われたように感じてしまい、自分が否定されたような気になってしまうのです。

 

いじめ問題が起きた時に、第一に優先すべきは被害者の保護です。それは心を守ることも含まれていますので、この3つの言葉は絶対に言ってはいけない、という主張に100%同意いたします。

また、学校に実際にいじめを解決してもらうための注意点として、学校主導で家庭とチームを作る、決して学校と対立に陥らないという点もあげています。

 

その他、いじめがひどい場合に、「転校」を考えた場合ですが、たいていの学校は最初はそれに対して抵抗します。

 

この理由として

1、自分の学校で起きた問題でよその学校に迷惑をかけたくない

2、自分の学校で起きた問題は自分の手で解決したい

という学校側の気持ちをよくまとめてくださっています。1は、体裁と整える感じがして、非常にいやな感じを持ちますが、実際は2も多いとのこと。「うちの学校で起きた問題は、私の手で、自分たちの手で何とかしたい。」と思う指導に熱心な方の方が多いとのことです。これは、教師の業だともおっしゃっています。

 

その他、転校を提示する場合の留意点にも触れられていて、とても参考になる内容でした。

 

また、日本の学校の現場の方が書かれているわりには、出席停止、別室指導の留意点にも触れられていて参考になると思います。〈実際、日本でもこれを行っている学校があることに正直驚きました。すばらしいです。〉

 

また、私たちが学校でいじめ防止授業をするときには、「いじめをなくす魔法の言葉」を伝えます。それはゴールデンルール「自分がされて嫌なことは人にしない」

これにたいしても、

自分がされたら嫌なことアンケートを最初にとって、この中から多くの子が選んだものを学級にルールとして設定するのです。

ととても実践的な方法を提示してくださっています。

 

そして、印象的だったのは「ひとりでいてもいい」ことを覚えることを子供たちに伝えることが大事だとおっしゃっています。

この年齢の子供たちは、孤立することを恐れて、自分を消して、グループに同化しようとします。いじめられっこだけでなく、ほとんどの子がおびえているのです。

 

子供たちにとって、何が一番の恐怖かというと「グループから排除されて一人ぼっちになる尾ではないか、孤立してしまうのではないか」というプレッシャー〈ピアプレッシャー〉を抱えていますが、それに対し

周囲の大人は、「そんな無理してつき合わなくてはいけないのは、友達なんかじゃない。」「ひとりでいてもいいじゃないか。先生があなたの一番の友達でいてあげる」とピアプレッシャーから解放するような言葉かけをしていく必要があります。

と述べています。まさに、ここは本当に大事なところです。

 

その他、マイナスの感情との向き合い方や、社会全体でいじめに対するセーフティネットをととても共感できる内容盛りだくさんでしたが、最後に

私は学校教育におけるいじめ対応の王道は、いじめがおきたらどうするか、という個別的な取り組みではなく、いじめが生まれないような正義の感覚に満ち溢れた学校づくりをしていくことに尽きると思います。

と最初にご紹介した言葉を述べておられます。まさに、その通りです。そのような学校が増えることを期待して、これからも活動を続けてまいりたいと思います。

 

最後に、この学校を正義の共同体にという考えに出てくる「正義の共同体」というのは、アメリカの発達心理学者ローレンス・コロンバーグが提唱したものです。このコロンバーグは、道徳性の発達段階として、「モラルジレンマ」という授業方法を行った方ですが、後年、彼は、道徳的問題についてこのような、話し合いではなくて、学校全体を道徳的な風土、つまり正義の感覚に満ち溢れた学校にしていくことを非常に重要視し始めました。いまだに、モラルジレンマを道徳的手法として取り入れるのは、「間違っている」と判断できる理由の一つとしてあげさせていただきます。

もう、国には頼らない

私は「学校」は大好きなのですが、「学校」ものを読み続けると気が滅入ってきます。

 

それは、おそらく私の「職業意識」〈おもに、前職の客室乗務員や、今の経営という環境でつちかわれたものです。〉からすると、むむむむむ!ということが多いからという理由だと思います。

 

そこで、時々読み返すのがこれ。

 

教育現場に経営的視点をという本です。

 

実際、学校の立て直しもされたことがあるので、非常に説得力があります。

提言として

 

経営力で学校を変えるための7つのポイント

○改善の見込みのない教師は、教員免許の見直しも行う一方で、社会人経験のある有能な人材を積極的に活用する

教育委員会の制度を見直し、教育現場で健全な競争と改善意欲が出るよう促す

○公立中学などでも、学校選択制やバウチャー制度を取り入れて、良い意味での学校間の競争が起き、授業内容の水準などが向上するよう促す。

○360度評価で、教師たちに自分の能力を客観視させる。

○生徒数1500人規模の学校であれば、総収入に占める人件費率50%が学校経営の損失分岐点であることを教師たちに理解させたうえで、彼ら自身に給与体系づくりと組織づくりを任せる

○「夢手帳」を作り、生徒たちに自分の夢を現実化するためのプロセスを考えさせ勉強することの意味を教える。

○雇用の契約制や、インターン制の導入で、教師の質を向上的に確保・向上させる。

 

とっても気持ちのいい内容です(*^^)v
たぶん、今の学校の教員に言ってもほとんど、何を言われているのかわからないと思いますけれど・・・(^_^;)

スクールカーストの正体

私自身は、まあ、こういう現象はあるんだろうな、どこの社会にもあるし・・・という認識ではありますが、最近、教育問題を語る場面で「スクールカースト」という言葉をよく耳にするようになってきましたので、一応読んでおきました。

 

後に具体的なことはご紹介しますが、このようなカテゴライズは、どんな社会にもあると思います。

ただ、問題なのは、学校、特に公教育では自分で選んだのではない場所で、長時間、長時間このような人間関係下に置かれることだと思います。著書の中でも

 

但し、職員室や会社のカーストスクールカーストとの間には一つだけ決定的な違いがある。それは流動性がないということだ。

と述べています。

 

スクールカーストが形成される要因の大きなものとして「コミュニケーション能力」があげられています。先日紹介した森口先生が、これを

○自己主張力

○共感力

○同調力

の総合力としていますが、これに基づいてスクールカーストを説明すると

①スーパーリーダー型生徒〈自己主張力、共感力、同町六すべてをもつ)

②残虐リーダー型生徒〈自己主張力・同調力をもつ〉

③孤高派タイプ生徒〈自己主張力・共感力をもつ〉

④人望あるサブリーダー型〈共感力、同調力をもつ〉

⑤お調子ものタイプ生徒(同調力のみをもつ)

⑥いいやつ生徒〈共感力のみをもつ〉

⑦自己チュー生徒〈自己主張力のみをもつ〉

⑧何を考えているかわからない生徒〈どれも持たない〉

とわけられ、おわかりのようにいじめ加害者になりやすいのが②でそれに⑤が追従し、いじめ被害者リスクが高くなるのが⑥⑦⑧です。

また、第5章には、教師にも父性型教師と母性型教師がいて、各人いじめ対応が異なる点も触れられています。

 

学校という組織を理解するには役立つ本ではありますが、民間企業に従事したものからするとこのような人たちや教師たちのタイプはどの組織にも存在しますが、普通の組織には「マネジメント」なるものが存在するので、それぞれのうまく生かして目的に向かって機能します。

 

しかし、今の学校という組織には、縦の理想や目標が存在せず、マネジメントも存在しないので機能不全に陥っているのかもしれないという感想を持ちました。

 

また、著書の中では、母親の家事負担がなくなったので、子供にかける時間や労力が増えた故、保護者からのクレームが増えたという教師側からの分析がされていますが、私はこれに対しては少し違った考えを持っています。

 

それは母親も職業訓練を受けた故、職業人として気になることが多くなったという点です。

 

もちろん、クレームのすべてがそうだとは言いません。

 

が、「学校」という組織しか経験せず、知らない人たちに民間企業の論理でクレームを言っても難しいということが、この本を読んでよくわかりました。

最後に著者の方は

学校はもはや、チームで動かなればほとんど運営できない、そういう場になっているのだ。父性型教師だけではやっていけない。ましてや母性型教師や友人型教師だけでもやっていけない。この三者がバランスよく機能しなければいじめ指導はおろか、ごく小さな生徒指導さえ機能させ得ない。そういう場になってきているのである。

とし、学校教育というものにポジティヴな評価を与え、これからもこの制度を維持していこうと考えるならば3つの意識改革を提案しています。

一つは学校側が協働の意識をもつことだ。〈中略〉

二つ目に、学級担任制の弊害を緩和することだ。〈中略〉

三つ目に、が旧担任制の弊害の緩和と関連するのだが、保護者(=世論)が教師個人への期待以上に学校の組織力のほうに期待するという姿勢を身につけることが必要だ。〈中略〉

公教育がJAL化している(稲盛氏が再建する前のJALのことです。)と言われて久しいです。その間、多くの子供たちが公教育を受け卒業しています。上記3つの意識改革は、組織、行政を抜本的に見直すことなくして為し得ないのではないかと文科省の方の話を聞いても現場教師の話を聞いても思えてなりません。

 

いじめの現場ー子供たちの叫び声

原題は、子どもたちの叫び声という副題がついていますが、あえて子供と書き直してご紹介いたします。

 

この本を最初に読んだときは、衝撃的で、遺書が頭から離れなかったり、現在、ただ今こんなことが進行しているなんて、信じたくないという気持ちでなかなか眠れぬ夜を過ごしたことを思い出しました。

 

今は、リアルな現場からの子供たちの声、さまざまな相談事例、他の書籍を読むことにより、かなり[免疫」がついてしまって、わりと客観的に読むことができました。

 

朝日小学生新聞や朝日中学生ウィークリーの編集部に寄せられる投書などを中心に現場の子供たちの叫び声、その周辺の大人たちの声、実際のいじめ自殺被害者遺族の声などが収録されています。

 

個人的には、地元市原市で起きたいじめ自殺事件のその後の教育委員会の対応などは読むにつけ、残念なのですが、現在、その事件を教訓として市原市教育委員会のいじめ対応やいじめ防止への理解などを見ると、変化はあったように思えますので、ほんの少しでも救われた思いがいたします。

第3章で、大平光代さんたち3人が「希望」と称して寄稿されています。

 

大平さんは、いじめ被害から非行へ、そして極道の道へと進み、その後、父の友人で後の養父となる人との出会いから、人生のやり直しをし、弁護士となって少年たちを救った方です。

 

大平さんは語ります。

今でもいじめられたことは昨日のことのように覚えています。状況や言葉もはっきりと。それがいじめる側といじめられる側の違いだと思います。親友のふりして自分を裏切った子については、私を裏切らなければあの子たちがいじめられていたかもしれないと、ようやく思えるようになったんです。

だけど、番長格の生徒は今でも許せません。心の傷は残ります。頭ではゆるさなあかんと思っても心が言うことを聞かない。もっと大人にならなければと思います。

それでも、今は自分がしたことを後悔しています。自殺を図ったことも、自暴自棄になって非行に走ったことも。いじめられていても、何か夢があればいじめばかりに目が向かなかったはず。目標に向かって生きると、いじめなんて小さいものだと思えるんです。

ところが当時の私は、何もなかった。いじめられたことが辛い、苦しい、そればかりに神経がいってしまったんですね。

中略

復讐するつもりで自殺を図っても、死んだことなんてすぐに忘れられてしまいます。犬死ですよ。私も14歳のとき、いじめた子たちに「私がどんなに苦しんだか思い知らせてやる。」と遺書を書いて、果物ナイフでお腹を刺しました。でも、命ひろいして治療でも激痛を伴い、同級生たちからは「死に損ない」とからかわれました。誰も同情なんかしてくれない。災いは自分に跳ね返ってくることがよくわかりました。

最大の復讐は自分が立ち直ることだと思うんです。私の場合は資格をとることだったんです。皆も同じように資格を取ることが立ち直りだというつもりはありません。自分が前向きな気持ちになれる何かが必ず、あるはずなんです。だからあなたも夢をもってがんばってほしい。

人間は同時に二つのことは考えられないと言います。

「いじめられて苦しい」ということだけを考えるのではなく、何か将来のことを考えられるようにサポートをしていくことが大人ができることなのではないかと考えます。

 

それには、いじめから抜け出せないのなら「転校」という選択肢を与えることもありなのかなと思うのです。

いじめの構造

いじめの構造については、2冊ほどご紹介しようと思っているのですが、まずはこちら森口先生の本です。

 

森口先生は、都庁、小学校、養護学校、都立高校を経て都庁に勤務された経験がおありなので、現場のことをよく知っていらっしゃり、きれきれの論を展開しています。

 

森口先生の言葉を借りれば「苔の生えたオールド右派」や「カビの生えたオールド左派」、そして心理カウンセラーの「いじめ論」では、もはやいじめはなくならないということにはおおいに同意いたします。

 

この本の特徴は、いわゆるスクールカースト制で、いじめを把握している点です。

 

いじめ行動は、確かに多様化しており、さらにいじめ加害者と被害者と明確にすみわけができているわけではありませんが、ここにスクールカースト」という視点を加えると、現代のいじめの構造が理解できると思います。

 

さまざまなモデルタイプが示されていますので、関心のある方は一読をお薦めいたします。

 

私は、このようなスクールカーストも、結局は個人の心の問題に帰結すると考えているのですが、他の本で現代の青少年の心理、そしてアメリカの心理学者の10代の心理からいじめを考えた結果からもこのスクールカーストで「いじめをしている者はカーストが下がる」ように様々な方策を考えるという方向性は、いじめを減らしていくうえでかなり有効だと思っています。

 

さらに、最近よくとりあげられる学校の隠ぺい体質ですが、これについては現場からの鋭い指摘があげられています。それは、隠ぺい体質があるのではなく、それぞれの別の理由によって生じる別々の現象が、外部にはあたかも隠蔽体質と映るだけという指摘です。

 

①いじめ時計調査いん「いじめなし」と回答する(してしまった)ために、いじめと認めたがらない(これが「隠ぺい体質」と言えないのは、事実を隠そうとしているわけではないからです。単に学校は「いじめ」という評価を下したがらないのです。

②日常的に理不尽な「いじめ主張」に付き合わされているために、本当に対処しなければならないいじめに鈍感になっている(鈍感さのレベルは人によります。いじめに対して比較的敏感で真摯に対応してくれるのは養護教諭だと思いますが、人によって態度が異なること自体が「いじめ隠蔽」が組織的でない証拠です。

③職員室の中に時限の低いいじめが発生している場合がある。そんな学校は当然教員のいじめに対する感受能力が通常よりも落ちるために、いじめが見すごされる危険性は高くなる。

④学校管理職の「危機対処能力」が低いために発言が二転三転し、あたかもいじめを隠ぺいしているように映る。

中略

⑤エセ人権行為(人権の名のもとに理不尽な主張をする行為)を行う団体の影響力が強い学校では、加害者の人権に配慮するあまりいじめが隠されがちである

⑥田舎で起こりがちな事件ですが、親も含めてよそ者への排除意識がある場合には、学校ぐるみ・町ぐるみでいじめを隠ぺいしてしまうことが起こる。

ともあれ、結果的に多くのいじめが隠ぺいされていることに間違いはありません。いじめを解決するためには、学校が敏感にいじめを認識する、認識したら対処するというあたり前のシステムを構築することが不可欠です。

確かに、意図的な隠ぺい体質とは言えないのかもしれませんが、結果的に「隠ぺい」になってしまうという点は、普通の民間企業だったら顧客から「隠ぺい体質」と評価され、見捨てられるところではありますが、学校という組織はそのような外部評価にさらされる機会が少ないので問題に気づき改善する機会を失ってしまったのかもしれませんね。

 

仏教だったか「知っていて犯す罪」と「知らずに犯す罪」のどちらが重いかという議論があり、法的には故意犯のほうがもちろん、罪は重いのですが、宗教的は「知らずに犯す罪」の方が重いという考え方があります。(知っているものは、反省、修正ができるが、知らないものはその基準すらないからというのがその理由ですが、法的に言えば、「規範意識」が欠如している状態とも言えます。)

 

書籍の内容に戻りますが、いじめ問題に対しては

「規範の内面化」と「いじめ免疫の獲得」という方向性を掲げており、

 

先生は様々な手段を甲いていじめを予防する。それでも時折先生の目を盗む小さないじめが起きる。調子にのっていじめっ子がやりすぎると先生に見つかって大目玉を食う。そんな経験を繰り返しながら『規範の内面化』と『いじめ免疫の獲得』が同時進行していく

ことをあたり前の学校の姿としています。

そのために

①校内犯罪には、即時出席停止、警察官による逮捕、家庭裁判所による審判、少年院送致や強制転校といった措置を取ることで、もっとも凶悪ないじめから児童・生徒を守る。

②被害者が被害を訴えてきたときには、精神科医スクールカウンセラーの意見を尊重し、学校がいじめを確認できなくても転校を許可することで、もっとも弱い被害者を守る。

という「いじめのセーフティネットが提案されています。

 

現場の先生が委縮していては、子供たちによい影響を与えない、だからといって国民や保護者からすれば自殺するまでいじめを放置し、その上隠ぺいしようとしていた学校を信用しろと言っても無理な話であり、この矛盾する要請の答えとしてこの本の内容を示しています。

 

確かに、もっと学校の先生に本来の仕事をいきいきとしていただき、信頼できる学校を保護者も国民も望んでいるので、難しいかもしれませんが、それを目指すという方向性を示唆したこの本は保護者や国民にも、そして学校関係者にも参考になることが多いのではないかと思います。

いじめこうすれば防げる ノルウェーにおける成功事例2

いじめ こうすれば防げるのつづきになります。

 

家庭で参考になる箇所をご紹介していきます。

具体的なプログラムも盛りだくさんなので、教育界の方で具体的なことをお知りになりたい方は実際の本を読んでみることをお薦めいたします。

 

典型的ないじめっ子といじめられっこの特徴が紹介されています。

著者のダン教授は、13万人もの小中学生へのアンケートをベースにしています。

 

私どもいじめから子供を守ろうネットワークの相談件数が9000件ですが、まだまだサンプル数としては足元にも及びませんので学んでいきたいと思います。

 

【典型的いじめっ子の特徴】

典型的ないじめっ子のはっきりとした特徴は、いじめの定義が暗示するように仲間の生徒に対して攻撃的であることだが、こうした子供は教師、両親などの大人に対しても攻撃的であることが多い。いじめっ子は普通の子供に比べて、暴力及び暴力的手段に訴えることを好み、衝動的で他人に優越したい欲求が強い。彼らはいじめられる生徒に対してほとんど同情心をもたない。また、自分自身を比較的肯定的に見ており、男子の場合は平均的な少年、特に自分がいじめられている子供よりも身体的に強健であることが多い。

最近はいじめ防止対策推進法案ができたことにより、「いじめは犯罪」という認識が増えましたが、私がいじめ問題に取り組み始めたころは「加害者にも人権がある」「加害者にも理由がある」とよく言われました。特に、心理学の分野の方からは「いじめっ子の心理的ストレスを取り除くことが大切だ。」と言われました。これに関して、ダン教授によりますと

心理学者や精神療法家の間では、攻撃的で粗暴な行動様式を持っている人は、「一皮むけば」実際には不安感が強く、自信がない、と考えられている。そこで私はいくつかの研究で「間接的な方法」〈ストレス・ホルモンや特殊な性格検査など)を使って、いじめっ子は不安館が強く自信がないのかどうかを調べたが、そのようなことを支持する結果は全く得られず、むしろその反対であった。いじめっ子には不安感はあまり見られないか、みられても、だいたい平均程度であった。また自信にかけるということもなかった。

としています。注目すべき「いじめの心理的動機」ですが、

 

いじめ行動の根底には、少なくても3つの相互に関連した心理的動機があるとし、

1、力と優越に対する欲求が強く、他人を「支配」することを喜び、他人を服従させずにはおれない欲求がある

2、彼らの多くが育った家庭環境を考えると、彼らの心の中には、周囲に対するある種の適意があり、人を傷つけたり悩ませ足りすることによって、それらの感情や衝動を満足させていると考えられる

3、彼らの行動には「利益をもたらす要素」がある。彼らはしばしば、いじめられっ子に、お金、たばこ、ビールその他高価なものを貢ぐことを強制する。さらに、彼らは攻撃的行動によって自分の威信を高めている。

 

としています。これから紹介していく本の中で述べられているアメリカの別の心理学者も同様のことをのべていることから、いじめっ子はいじめ行動によって、何等かの欲求を満たしていることがわかります。

 

この攻撃的な子供を作る家庭環境として

第一に、両親、とくに子供の面倒を直接見る人〈多くの場合母親)の少年に対する情緒的態度、ことに子供の幼少時における基本的態度が非常に重要である。それらの人に子供への温かみと関心が不足し、子供に対して拒否的な態度をとっている場合、その子供が後になって他人に攻撃的で敵意を持つようになる危険性が高まる。

第二の重要な要因は、子供の面倒を直接見る人がどの程度、子供の言いなりになり、子供に攻撃的行動を許したかということである。そういう人が子供の攻撃的行動にはっきりした制限を設けることもなく、ただ子供のなすがままに任せている場合には、やがてその子の攻撃的傾向が高まる可能性が高い。

この二つの要因をまとめると

あまりにも愛情と世話が「少なく」、あまりにも自由が「多い」ことが攻撃的行動の発展に強く結びつく条件だといえる

とあります。

 

第三の要因は、両親が子供に対して力で押さえつける育児方法〈体罰や暴力で感情的な叱責など〉をとることである。中略 子供の行動にはっきりした制限とある種のルールを設けることは重要であるが、しかし、それは体罰などの暴力的方法によってなされるべきではない。

最後に、子供御気質もまた、部分的に、攻撃的行動を生み出す役割を果たす。活動的で「激しやすい」気質の子供は、普通の子供よりも攻撃的な若者になりやすい。

としていますが、この要因は、最初の二つの要因に比べると小さいそうです。

 

そして、結論として

養育時における親の子供への愛情と関心、してよいこと、してはいけないことのはっきりしたけじめ、暴力を使わない養育方法が、調和のとれた独立心のある子供をつくりあげる

としています。

家庭の役割は大きいですね。

 

次に、どんな理由があってもいじめはいけないので、書くのはどうしようかと思ったのですが、「予防的観点」の意味も含めて、「いじめられっ子」についてです。

 

典型的いじめられっ子の特徴として

受身的いじめられっ子は、不安感が強く、自信がなく、その上用心深く、神経質でおとなしい。中略 このタイプの子の行動と態度は「私は攻撃されたり侮辱されても仕返しをしない、不安で勝ちのない人間だ」というシグナルを他の生徒に送っているように見える。このような受身的いじめられっ子の特徴は、不安または従順な反応様式に身体的ひ弱さが結びついていることである。

としています。またもう一つのいじめられっ子として

〈それは少数であるが〉不安感と攻撃的様式が結び付いた挑発型いじめられっ子である。こうした子は過剰に活動的てで、集中力に欠け、周囲にいらいらと緊張をまき散らし、多くの生徒を刺激し、時にはクラス全員の拒否反応を引き出す。

としています。

 

いじめられっこの家庭環境については、いじめっ子ほど詳細な研究はされていないようですが、

典型的いじめられっ子は、平均的な少年に比べて、両親、とくに母親との関係が緊密なことである。

としています。

そして

不安感が強く、自信のない子を持つ母親は、その緊密な関係を過保護に終わらせず、将来わが子がいじめられないようにしてやるためには、その子が独立心と自信を持ち、仲間の中で自分を主張できる能力を身につけるよう助けることが重要である。

と結論づけています。

 

いじめ問題の古典と言われるだけあり、そのサンプル数も多く、非常に学び多い一冊です。

いじめ問題にかかわる方は、一読されるとよいと思います。

 

いじめこうすれば防げる ノルウェーにおける成功事例

今回は、イジメ問題に関する古典と言われる本のご紹介です。

 

「いじめ こうすれば防げる ノルウェーにおける事例」

 

序論で訳者の方がこう書かれています。

学校でのいじめはずっと昔からあった現象である。ある生徒が仲間からのしつこい嫌がらせや攻撃にあっている様子は、文学作品にも描かれてきたし、また多くの大人は自分でも学校時代に経験したことである。このように、いじめはおおかたの人にとってなじみ深いものであるが、いじめについて組織だった研究がはじめられたのはごく最近ー1970年代の初頭ーになってからである。いじめの研究は長い間おもにスカンジナビアに限られていたが、1980年代の終わりから1990年代のはじめにかけて、日本、イギリス、オランダ、カナダ、アメリカ、オーストラリアなどの国々においても、一般の人々や研究者の注目を集めるようになった。

この本は、いじめを科学的、そして学問的に研究した点、そして、実際にノルウェーという国で政府が主導していじめ防止プログラムを立ち上げ、その後のそれについての追跡調査をしたものをまとめたもの、という点でいじめ問題に関して普遍的なことが学べる本です。

 

そのような非常に内容の濃い本であります。

 

例えば、

 

☆休み時間の監督といじめの関係

 

☆典型的「じめられっこ」の特徴

 

☆典型的「いじめっこ」の特徴

 

☆いじめと成績の関係

 

など、いじめに対して多角的なアプローチを試みています。

 

具体的ないじめ防止プログラムは、本を読んでいただくとして、第4部の「いじめ防止プログラムの核心」から、参考になる点、そして第1部いじめの実態と発見の指針から参考になる点をご紹介したいと思います。

 

「いじめ防止プログラムの核心」として、前提として「大人側の問題意識と真剣な取り組み」があげられています。第3部では、4つの実践的目標

 

1、イジメ問題に対する関心を高め、知識を蓄積して、イジメとその原因に関する謝った通年を打ち破ること

 

2、教師と親の積極的かつ真剣な取り組みを実現させること

 

3、いじめに対する明確なルールを作ること

 

4、いじめの被害者を力づけ、保護すること

があげられていますが、これもまずは「大人側の問題意識と真剣な取り組み」が前提とあるかと思います。

 

長くなりましたので、続きは次回としたいと思います。