日本を見直そう♪ 知的な防波堤を築いた江戸時代
徳川幕府も、安穏と平和を貪っていたわけではありません。
太平の眠りを覚ますじょうきせん、たった四杯で夜も眠れず
とは言われましたが、これは庶民感覚だったと思います。
260年にわたる鎖国の間も、来るべき白人侵略に着々と手を打っていました。
戦争が200年もなかった時代は、世界史上まれです。
この長い平和の間に、学問はより一層発達しました。
庶民教育においても、武士や僧侶が教師を務める寺子屋が各地につくられ、その数は10,000箇所にも及びました。
幕府は朱子学を奨励していましたが、強制ではなく、諸藩はそれぞれの事情に応じて方針を出し、学問を奨励していました。
陽明学、折衷学などがありました。
「解体新書」により、医学の基礎、その他、天文学、地理学、化学、植物学などの自然科学が発達しました。
こうした教育制度や学問が、明治維新の原動力となります。
開国を迫った西欧列強が、力による制圧を諦めたのも、武力に加えて、日本人には高い教育レベルと技術、強靭な精神力、文化力があったからなのです。
千葉県には、偉人として伊能忠敬がいます。浦賀に来航したペリーは日本を攻略するにあたり、江戸湾とその周辺の測量を最新技術を使って測量しましたが、その結果は伊能忠敬の地図と全く同じであって、とても驚いたそうです。
以来、ペリーは日本の科学技術は相当進んでいると警戒したそうです。
次回は、林子平について触れたいと思います。