日本を見直そう♪ その後の西欧の支配

これまで、スペイン、ポルトガルキリスト教布教の名目で、次々と東洋の地を征服した歴史を紹介してきました。

 
※本来のキリスト教の教えがそうだったのではありません。
 
世界支配が着々と進むと、これらを白人の優位性、ヨーロッパ文明の優越性、キリスト教の優秀性の証だ考えていきます。
 
非白人地域が、簡単に征服されていったのは、
 
「自衛力を持たなかった」
 
というだけの理由なのですが。
 
白人の人種差別は、だんたんと激しくなり、キリスト教の洗礼を受けない文明を野蛮未開と蔑み、その遅れた文明の担い手はすべて家畜と同等の奴隷としかみなさなくなっていきました。
 
17世紀になると、スペイン、ポルトガルに代わってオランダが台頭してきます。
 
オランダはプロテスタントの国で、古くからバルト海貿易に携わってきた自由商人たちの集合体でした。海洋貿易が発達していたので、航海技術にも優れていました。
 
しかし、16世紀まで北極海経由でアジアに到達する航路を模索しており、東方経営には出遅れていました。
 
北極海を回る航路は不可能だと悟ったオランダは、スペイン、ポルトガルの開発した航路を通り、利権にありつこうとします。
 
まず、北米進出を狙いましたが、既存のフランス、イギリスに阻まれ、実現しませんでした。そこで、矛先を、インド洋航路に変えます。
 
1602年、オランダは東インド会社をジャワに設立、侵略の拠点とします。
 
東インド会社に、貿易、軍事、外交、行政の独立権を与え、諸外国と戦争し、アジアへの進出を、開始したのです。
 
17世紀中頃には現在のインドネシアを中心とした地域を掌握し、350年もの長きにわたって、植民地支配を続けました。
 
次は、オランダの統治の仕方について触れますね。