自殺につながるいじめはなかったという議論はやめよう

1月11日、沖縄県豊見城市で去年10月、小学4年の男子児童が自宅で首をつり、自殺した問題で、市の教育委員会などが会見を開き、現時点では自殺につながるいじめは確認されておらず、引き続き調査すると説明しました。日本テレビのニュース

ただし、いじわるは見たことがあったと子供たちはアンケートに答えています。朝日デジタル

いじめがあって、子供たちが自殺をすると、基本的に「いじめとの因果関係があるか否か」を学校や教育委員会は調べて、報告をします。
(ここが、とても難しい。)

行政訴訟などを恐れるので、まず因果関係の否定から始まります。

しかし、「自殺」というのは、基本的にたった一つのことで起きるのではないのではないでしょうか?

イジメではなく、失恋で自殺をする人もいます。
同じ失恋しても、周りにそれを慰めてくれる人がいたり、他に気になる子ができたり、また、仕事でやりがいがあったら自殺はしないと思います。

学校側や、これまでのいじめ裁判でも「いじめはあったがいじめだけが原因ではない」と結論づけられることが多いのですが、それは当たり前です。

いじめがあっても、友達がいれば自殺はしません。
〈だから、傍観者に何か訴えたいと思って昨年動画をご紹介いたしました。)いじめ撲滅 傍観者編

 

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私が、過去にいじめ自殺を試みた方々に聞いた話では、いじめがあっても先生や学校が何もしてくれない無力感や、自分が死ぬことでいじめということの大変さに気づいてくれる人がいるのではないか、と冷静に考えているケースもあるそうです。

自殺につながるいじめがあったか否かを論じるのではなく、「いじめはあった」では、なぜ解決できなかったのか?どうしたらよかったのか?を議論することの方が大切だと思います。