今週末、いよいよいじめ反対のピンクシャツイベントin君津です。
主催の方から、思いがけず多くの方のご協力をいただいています!とお伺いしました。
さすが、私の大好きな君津、木更津地域です。
何故、私が木更津、君津が好きなのか。
それは、日本の神話からです。
この部分です。
さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。そのとき皇子につき従っておられた妾があり名は弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。時の人は、その海を名づけて、馳水といった。こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り玉浦を横切って蝦夷の支配地に入られた。
解説は
ウィキペディアによると
『古事記』は、焼津で相武国造にだまされ火攻めにあい、倭比売命より賜った草薙剣によって難を逃れた倭建命が走水海に至った時、海は荒れ狂い先に進むことが不可能になった。海神の怒りを解くため、弟橘比売命は「私は夫である皇子の身に替わって海の中に入ります。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じ、浪の上に菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を敷いて、その上に座って海に下りた。すると波が穏やかになり、船を進めることが可能になったとする。
という場面。
大義のために献身するという日本人の美徳が表されていると思うのです。
君津、木更津を合わせて
きみさらず(づ)
と呼ぶそうです。
そんな素敵な地で、いじめ反対イベントに参加させていただき、感謝です。
お近くの方、是非お越しください!楽しいパフォーマンスもあるようです♪