日本を見直そうシリーズ♪ 鎖国の本当の目的
子供たちと話していて、誤解されているのが
☆鎖国
です。
このために、日本は近代化が遅れた、
閉鎖的な考えの民族だ
と誤解しています。
実際は、そうではなく、鎖国しなくてはならなかった状況があったのです。
話は少し江戸時代から遡り、秀吉の時代、学校で習う歴史区分でいうと「安土桃山時代」です。
しかし、1587年、島津氏討伐のために長崎を訪れて方針を転換します。
長崎が教会領となり、寺院がキリスト教徒により焼き討ちされたのを知ったからです。
そして、江戸時代。
江戸時代初期は、ご朱印船貿易を奨励します。
16世紀末より、大名や大商人が、盛んに東南アジア方面に船を出して貿易を行うようになり、幕府は日本の信用を高めるため、1604年に、国として認めた御朱印状を発行します。
ここに海外渡航ブームが起こり、日本から台湾、マカオ、東南アジア各地にわたり、兵士となったり、現地で日本との貿易にかかわる日本人は一気に増えました。東南アジアには、20数箇所の日本人町が生まれ、その1つシャム(タイ)のアユタヤに渡った山田長政は、シャムの高官として活躍したほどです。
日本にも大航海時代があったのです。
しかも、日本の大航海時代は、純粋に貿易で、西欧のそれと徹底的に違ったのは侵略の意図はなかったのです。
では、どうしてここから鎖国へと政策が変わったのかはまた、次回に。