いじめの現場ー子供たちの叫び声

原題は、子どもたちの叫び声という副題がついていますが、あえて子供と書き直してご紹介いたします。

 

この本を最初に読んだときは、衝撃的で、遺書が頭から離れなかったり、現在、ただ今こんなことが進行しているなんて、信じたくないという気持ちでなかなか眠れぬ夜を過ごしたことを思い出しました。

 

今は、リアルな現場からの子供たちの声、さまざまな相談事例、他の書籍を読むことにより、かなり[免疫」がついてしまって、わりと客観的に読むことができました。

 

朝日小学生新聞や朝日中学生ウィークリーの編集部に寄せられる投書などを中心に現場の子供たちの叫び声、その周辺の大人たちの声、実際のいじめ自殺被害者遺族の声などが収録されています。

 

個人的には、地元市原市で起きたいじめ自殺事件のその後の教育委員会の対応などは読むにつけ、残念なのですが、現在、その事件を教訓として市原市教育委員会のいじめ対応やいじめ防止への理解などを見ると、変化はあったように思えますので、ほんの少しでも救われた思いがいたします。

第3章で、大平光代さんたち3人が「希望」と称して寄稿されています。

 

大平さんは、いじめ被害から非行へ、そして極道の道へと進み、その後、父の友人で後の養父となる人との出会いから、人生のやり直しをし、弁護士となって少年たちを救った方です。

 

大平さんは語ります。

今でもいじめられたことは昨日のことのように覚えています。状況や言葉もはっきりと。それがいじめる側といじめられる側の違いだと思います。親友のふりして自分を裏切った子については、私を裏切らなければあの子たちがいじめられていたかもしれないと、ようやく思えるようになったんです。

だけど、番長格の生徒は今でも許せません。心の傷は残ります。頭ではゆるさなあかんと思っても心が言うことを聞かない。もっと大人にならなければと思います。

それでも、今は自分がしたことを後悔しています。自殺を図ったことも、自暴自棄になって非行に走ったことも。いじめられていても、何か夢があればいじめばかりに目が向かなかったはず。目標に向かって生きると、いじめなんて小さいものだと思えるんです。

ところが当時の私は、何もなかった。いじめられたことが辛い、苦しい、そればかりに神経がいってしまったんですね。

中略

復讐するつもりで自殺を図っても、死んだことなんてすぐに忘れられてしまいます。犬死ですよ。私も14歳のとき、いじめた子たちに「私がどんなに苦しんだか思い知らせてやる。」と遺書を書いて、果物ナイフでお腹を刺しました。でも、命ひろいして治療でも激痛を伴い、同級生たちからは「死に損ない」とからかわれました。誰も同情なんかしてくれない。災いは自分に跳ね返ってくることがよくわかりました。

最大の復讐は自分が立ち直ることだと思うんです。私の場合は資格をとることだったんです。皆も同じように資格を取ることが立ち直りだというつもりはありません。自分が前向きな気持ちになれる何かが必ず、あるはずなんです。だからあなたも夢をもってがんばってほしい。

人間は同時に二つのことは考えられないと言います。

「いじめられて苦しい」ということだけを考えるのではなく、何か将来のことを考えられるようにサポートをしていくことが大人ができることなのではないかと考えます。

 

それには、いじめから抜け出せないのなら「転校」という選択肢を与えることもありなのかなと思うのです。