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学校という組織の不思議

広島で、やってもいない万引きの経歴を理由に、希望する私立高校に推薦してもらえなかったことを苦に中3が自殺しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160309-00050166-yom-soci

これについては、あまりにもひどすぎてブログに書くのは控えようとも考えましたが、
「やはりどうしても一言は言わないと」

と考え直し書くことにいたしました。

今回、この件に関して報告書がでたようです。


「報告書によると、2013年10月6日の日曜日、広島市内のコンビニエンスストアから、1年生男子2人が万引きをしたと学校に電話があった。たまたま出勤していた教諭が店に出向き、2人の保護者を店に呼んで謝罪させるなどした。

 教諭は翌7日、生徒指導担当の教諭に口頭で報告。生徒指導担当教諭がパソコンに入力する際、うち1人の名前を誤り、男子生徒の名前を記入した。教諭は、手控えの生徒指導ノートにもメモを取っていなかった。」

第一報が出たときに、多少、学校に携わったことのある方たちからは、
学校というものは、こういう仕事をするもので、環境に慣れてしまうと、おかしさに気づかないというご意見をいただきました。

一方、心ある先生からは、「推薦は、担任の一存で云々できるものではない」というお声をいただきました。

両方、そうなんだろうと思います。

本来、推薦などの事項、または万引きの経歴を生徒指導記録に残す場合は、一人ですべきではなく二重、三重のチェックが入るシステムがあるべきです。民間企業ならば、そうしているはずです。

また、「推薦」に関しては、教職員会議にかけて、何人かで協議するはずという原則はあるのだと思います。

しかし、その原則をはずして、なあなあで済ましてしまうという現実もあることは想像に難くありません。

学校を表現する言葉に「教育しがらみ共同体」という言葉があります。教育委員会の事務局には、教員出身者が指導主事として入っていたり、元校長が教育長となっているケースが非常に多いことをさしてそう呼びます。

みんな仲間同士、教員の先輩、後輩同士なので、仲間に都合の悪いことはしたがらないカルチャーを見事に表していると思います。

今回のケースも、まず万引きで捕まった生徒の名前は、筆記で文書なりメモなりで共有すべきでした。
民間企業なら、それがカルチャーとして根付いていると思います。
だから、口頭で告げられても「メモで渡してください」というか、自分で紙に書いて「これで間違いないですよね。」と確認をすると思います。

しかし、学校には残念ながら、自らの仕事の質を上げようというカルチャーは欠如しているため、口頭で万引き犯の名前を告げられても、そのままにし、それを元に後に残る生徒指導記録をつくってしまったのでしょう。

こういうカルチャーが蔓延しているところに、内部自浄作用、内部からのイノベーションをもとめるのは、「無理」だと思います。
わからないことは、できないからです。

こういった学校のカルチャーを変えるには、やはり第三者機関が中に入る、チェックをする、又は成果を公開して学習権者である生徒や保護者からの評価が反映されるシステムを作る必要があると思います。

それが、教師たちのためでもあります。

「中には真面目な先生がいる」という反論があるかとは思いますが、一人一人が志をもっていても、カルチャーがそうであるなら、しっかりとした仕事をしようと思っている先生たちにとっては、居心地の悪い環境であることは確かです。

日本人は、改革や、評価制度といったものを嫌う傾向がありますが、

学習者である子供たちにとって良い学校をつくる

職業として誇りを持てる仕事をする環境を教師に与える

という観点からも、学校には、何等かの民間の原理、競争の原理を入れるべきだと私は思います。

もちろん、今回の事件は、学校側に多くの問題があることは事実ですが、それだけではない、死以外にも選択肢はあった、それを提示できる大人が身近にいなかったことは、痛恨の極みであることを申し添え、本日はこれで筆をおきたいと思います。