読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ありえない仙台の中一自殺の学校対応

仙台市立中学1年の男子生徒が昨年秋、学校でいじめを受けて自殺した問題で、学校近くの公園に、誰かが男子生徒の死を悼むためとみられる献花台を設置しました。市教委は「遺族が望んでいない」として学校名を公表せず、学校も生徒や保護者にいじめの事実を明らかにしていないとのことです。

 

mainichi.jp

 

記事によると、

「市教委は8月に男子生徒の自殺を公表したが、個人が特定される恐れのある情報は明らかにせず、在籍していた学校でも、いじめの関係生徒以外には「家の都合で転校した」と説明していた。

 娘が男子生徒と同級生だったという地元の男性(51)は22日午前、献花に訪れた。「学校では彼が死んだことさえ『無かったこと』にされ、手を合わせる機会も、哀悼する場所もない。誰かが人間として当然のことをしてくれた」と話した。」

とのことです。

区役所は、「遺族が望んでいない」ということで撤去を求めているようですが、別の報道では「父親は謝意を示している」とあります。

 

関係者によると、男子生徒の担任だった40代の女性教諭が昨年秋以降、クラスメートに「彼は家の都合で県外に引っ越した」などと説明。学校側による在校生や保護者への説明も一切なかったそうです。いじめに加わった生徒11人に対しては「実態調査」を理由に自殺の事実を伝えていたといいます。

この教師は、いじめ問題の本質を全く理解していないばかりか、『隠ぺい』と言われてもおかしくない対応をしています。

 

起きてしまったことは、悲しいことではありますが、現実に「こうしたら人は死ぬ」ということを教育するのも教師の役割、仕事であるのではないでしょうか?

 

実際に、「うちと決まったわけではない」(教頭)と「本当の事が知りたい」という生徒や保護者の切実な願いに、学校側はかたくなな態度を崩さないそうです。
 校長が自校であったいじめ自殺に触れないまま、「命の重み」を説いた24日朝の臨時全校集会。ある生徒は、いじめに関与したとみられる生徒たちに反省するそぶりがないことを知り、「もう駄目」とショックで寝込んでしまったといいます。

 

私が住んでいる市原市では、十年以上前に「いじめ自殺」があったため、教育委員会は「いじめ」に対して敏感で、二度とおこしてはならないと「チクリは正義の告発だ」と指導しています。

 

そういう現実的な対応をしていかなければ、加害者にも傍観者にも反省の機会が与えられません。

「反省」なくして、彼らは今後まっとうな人生を歩んでいくことはできないのです。

どうか、教育者ならば目の前の困難から逃げるのではなく、穏便にすませることで何の教訓も得られないまま終わるのではなく、被害者の命から学び、その学校では二度といじめはおこさないというくらいの気構えを見せていただきたいと思います。