ピンクシャツ運動 シンポジウムIN千葉

11月7日(土) 千葉市稲毛区敬愛大学で、第一回ピンクシャツデー・シンポジウムIN千葉が開催されました。

 

私もお話しの機会をいただき、30分間、現代のいじめの状況と子供たちのおかれている状況、日ごろの活動等を発表させていただきました。

当日のスピーチ原稿より

 

「11月7日(土)ピンクシャツDAY スピーチ原稿

 

文部科学省によると2014年度の「いじめ認知件数」は約18万8千件(前年度7万件)、「不登校」は小中高学校合わせてで19万1千人(前年度約11万7千人)、、いじめ問題の自殺者数は6人(前年度4人)です。この自殺者数は、学校がいじめと自殺の因果関係を明確に認めた数です。報道されている「遺書を残して自殺」という事件の中には、学校が「いじめはあったが自殺との因果関係は認められない」というものも多数ありますので、それらの数は含まれてはいません。ですから、実際は、より多くの「いじめを苦にした自殺」があると思います。つい先日、統計のとり方を変えたら、いじめ認知件数3万件増という報道がなされましたが、それが実体だと思います。

 

一方、警察庁の発表によると、2014年度の19歳以下の自殺者数は587人。そのうち、小・中学校の自殺は336人でした。まさに、学校一つが消えていることになる数です。

 

このいじめ認知件数というのは、学校が認知して、教育委員会から文部科学省に報告されている数字ですが、実際はその数十倍のいじめが存在しています。

現在、60万人の子供がいじめられていると言われています。1クラスに1〜2人のいじめられっ子がいるというのが現実です。

 

2011年の大津のいじめ事件をきっかけとして、2013年、「いじめ防止対策推進法」が制定されました。いじめ問題に対して「いじめはいけないことだ」とはっきりと教育現場の土壌で言えるようになったことは一歩前進です。

 

実は、教育現場ではながらく「価値観の押しつけはいけない」ということで「いじめはいけない」ということすら教師は言えなかったのです。私たちは、いじめ相談の現場で、マニュアルがあるのではないかと思えるほど、多くの学校がら投げかけられた言葉の一つに「加害者にも人権がある」というものがありました。

 

しかしながら、法律が施行されてからも、数々のいじめ自殺事件が後を絶ちませんが、それには理由があります。先日文科省初等中等教育生徒児童課長、係長の方といじめから子供を守ろうネットワークスタッフが面談をしたしました。時間の関係で、二つのポイントだけ紹介いたします。

・何度指導しても、現場が言うことを聞かない

・いじめ防止指導専門家の不足

です。これに対して、私はいじめを隠ぺいしたり、放置したりする教師に対しては何らかの処罰、指導が必要なのではないかと考えています。ただ、それを支えるためにも「いじめ防止指導専門家」の養成が必要だということもお伝えさせていただきました。カウンセラーが心のケアをいたしますが、いじめを解決することはできません。子供たちの願いは「いじめがなくなること」です。

 

過去のいじめ自殺事件をふりかえってみると、以下の3つの共通した問題点があることがわかります。

 

一つは、学校側は、基本的に原因調査・被害解決に非協力的であり、「証拠がない」とすることです。ー2006年の福岡県筑前町の中学生男子の事件がその一つです。最近話題になった岩手県の中学生男子の事件も、あれだけの目撃者、いじめられていることを打ち明けている「心のノート」等がありながらも、学校が「いじめが自殺に関係がある」と学校が認めるまでに数ヶ月以上の期間を要しました。

 

二つ目は、加害者と被害者を話し合わせることです。ー北海道滝川市の小6いじめ自殺はこの事例です。岩手の事件でも、被害男児が最初にノートに「いじめられている」ということを書いたあと、加害者と話し合わせています。

 

三つ目は、「いじめられた側にも非がある」とする誤った喧嘩両成敗指導をするということです。これまで紹介した、福岡、北海道、岩手ともこの事例にあてはまります。

 

これらの問題点は、被害者が多数の加害者だけでなく、学校や教師とも戦わなければならないということです。直接戦わなくても、「大人の無理解」と戦わなければならない状況に置かれるということが、子供達を精神的にぼろぼろにしてしまうのです。

 

大人が理解をしてくれないという事実は、子供たちを本当に絶望の淵に陥れます。一昨日発覚した、名古屋の中一自殺事件の調査結果では、いじめを直接見聞きした生徒が20名、延べ80名がいじめを見聞きしていたそうです。が、学校側は「気づかなかった」と言っています。本当に気付かなかったのか?それとも、気づかないふりをしていたのか、いずれにせよ生徒が打ち明けても仕方がないと判断してしまったことは事実です。

 

ところで、話しは変わりまして、私は「いじめ防止指導員として」に学校で子供達にいじめ防止授業を行っています。

 

最初に子供達に「いじめっていけないことだと思う人?」と聞くと、ぱらぱらとしか手をあげません。

 

「いじめってどういうことだと思う?」という問いに、ある小学生が答えてくれました。「汚いゴミ箱に入れられしまうこと」

また、事前アンケートの「いじめとはなんですか?」の問いにも「命にかかわること」「人の心を傷つけること」と答えてくれています。それにもかかわらず、正々堂々と「いじめはいけないこと」とは言えないのです。

 

一つ事例をご紹介いたします。福岡の事件です。報道されたのでご存知の方も多いと思いますが、2006年、福岡県筑前町立三輪中2年の男子生徒が、「苛められてもう生きていけない」などと遺書を残し自宅の倉庫で首つり自殺をしました。学校では、1年のときの担任を含め、複数の生徒からのいじめが続いていました。加害者たちは、男子生徒の自殺を知らされた後でも「死んでせいせいした。」「別にあいつがおらんでも、何もかわらんもんね。」「おれ、のろわれるかもしれん」などとふざけて話していたそうです。中には「あいつがおらんけん、暇や、誰か楽しませてくれるやつおらんと?」というものもいて、別の生徒をいじめはじめたそうです。

 

このよう「いじめはいけない」という規範意識は、子供たちの中にはないことが多いです。

 

いじめ防止授業の話に戻ります。

私どもでは、は心の存在を知ってほしいので、こんな話をします。

 

「君たちの夢は何?」と聞きます。

「プロサッカー選手になりたい!」「パティシェになりたい」「バレリーナになりたい」「飼育員」等々、夢はつづきます。そこには輝く笑顔があります。いじめとは何ですか?という問いに答える顔とは対照的です。

 

 

そこで、私は「夢を描けるというのは、人間だけが持っている才能なんですよ。夢を描いて、その夢に向かって一生懸命勉強をする、努力をすることは人間だけに許されている尊い行為なんだよ。夢を諦めないで努力をすれば、必ずいつかは実現する。今、語った夢を忘れないでね」と子供達に伝えます。

 

そして「夢を描けるのは、心があるからなんだよ。いじめというのは、その心を傷つけることなんだよ。いじめられて心が傷ついたら、夢を描けなくなるんだよ。生きて行く力がなくなるんだよ。自分の夢が大事なように、お友達の夢も大切なんだよ。だから、自分の夢が大切なようにお友達の夢も大切にしてほしい。夢を壊すことは絶対にいけないことだと今知ってほしい。」と「いじめはいけない」ことを伝えます。

 

授業が終わったあとのアンケートでは

 

「いじめっていけないことだとわかりました。」

 

という答えが多くなりますし、「へ〜いじめっていけないことだったんだ。」という声を聞くことも多くなります。

 

ですから、私たち大人が「いじめはいけないことなんだ」と折に触れ、子供達に伝える、そういうメッセージを発信していくことはとても大事だと思います。

 

これは、実は思ったより行われていないんです。

NHKのエデュカチオというeテレの番組の取材を受けたことがあります。「子供がいじめの加害者となったときにとるべき親の態度」についての番組でしたが、その番組が作られた背景にはこういう話があります。その前に「自分の子供がいじめられたとき」という番組でいじめ被害者の親が集まる機会があったそうです。収録が終わったときに,司会の尾木ママが「ところで、家でいじめをしてはいけない。という話をしたことがあるか?」と聞いたところ、4分の一の人しか手をあげなかったそうです。そこで、尾木ママが、「それはずるいんじゃないか。」ということで、「自分の子供が加害者になったとき」について考えてみようということでその番組はつくられたそうです。

 

そういう意味で、このような「いじめ反対」の意思表明のピンクシャツデイイベントはとても意義あることだと思います。主催してくださった響さんには、心から感謝申し上げます。

 

そして、たくさんのいじめ防止にご賛同くださったここにいる全ての方々に感謝申し上げます。

 

この後、お話をしてくださる中園先生の「オルゴール」という小説を読ませていただきました。いじめをテーマにしたものです。ベストセラーにもなっています。

 

大人から見れば、「もどかしい」揺れ動く思春期の青年の特徴、そして、いじめられている子を助けたことでいじめのターゲットにされてしまったり、誰にも見えないところでいじめが進行していくという点は、現代のいじめ問題を的確に表現されています。登場人物、特に最後にいじめで自殺してしまう子供については「もどかしい」と感じる人もいるかもしれません。が、あれが子供たちの現状です。様々な経験をしている大人からすると「え?なぜ?」ということが起きるのが子供の世界です。実際の子供達は、この物語に出てくる登場人物のように、ああでもない、こうでもない、と思い悩んでいるのが現実だと思います。そして、誰にも言われなければ感情のまま行動してしまうことも理解できます。そして、それが子供の特徴でもあり、思春期の特徴でもあるのだと思います。彼らにとっての価値観の元になるのはいま」「ここ」「皆のノリ」です。皆のノリでいじめが始まり、「ノリがよいことがよいこと」「ノリが悪いことは悪いこと」なのです。子供たちのそういう状況を知ることから、いじめ防止運動は始まると思います。

 

だからこそ、私たち大人が、子供のいじめ問題にどんどん声をあげ、いじめはいけないことだと伝えることが大事なんだと思います。仲間内のノリを超えた善悪があることを伝える必要があるのです。

 

いじめられた子の大半は、親にはなかなか言えません。

よくいじめ自殺の報道がなされるたびに「親は気づかなかったのか」という声があげられますが、親が大好きだからこそ、「自分が傷つけられていることを言えない」という思春期特有の心理もはたらくのです。また、子供達からは「自分にもプライドがあるので、いじめられていることは親には絶対に言えない」という声も聞きます。恥ずかしい告白よりも、死を選んでしまうのです。

ここの部分を理解してあげて、子供達に声をあげてもらえる環境を作っていくことが、私たち大人ができることだと思うのです。

 

いじめは、人と人がいれば必ず起こります。それは、それぞれ自由意志があるのでどうしても起こると思うのです。だから、「いじめはあるもの」という前提で、大人が「それでもいじめはいけないんだ。」ということを発信していく必要があると思います。

 

いじめの原因は、警視庁の調べによると「からかい・ふざけから」が第一位です。この初期段階で、いじめられている子がSOSを発信し、それを大人がキャッチしてあげられるようにしていきたいと思います。

 

現在、文科省が出している「いじめの定義」は

 

「当該児童・生徒が一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない」

 

です。つまり、いじめられた子が「それはいじめであるから嫌なんだ」と思ったらいじめなのです。

 

私はいじめ防止授業の中で、最後に「いじめをなくす魔法の言葉」を伝えます。

 

それは極めてシンプルな言葉です。

「自分がされてうれしいことをお友達にもする。自分がされていやなことは友達にはしない」

という言葉です。

 

論語にも「己の欲せざるところ、他に施すなかれ」という言葉があります。古今東西、偉人達に受け継がれている人間関係の黄金ルールです。

 

そして「相手が"いじめられた“と感じたらいじめです。例えば、この中にカエルが好きな人はいますか?カエルが好きな人の手にカエルをのせても大丈夫だけれど、カエルが嫌いな人にのせたら、大変苦通でいじめになりますね。自分はそのくらいのことは、嫌じゃないと思っても、人の感じ方はそれぞれ違います。自分が嫌いものを手に乗せられたときを想像してみてください。」と伝えます。

 

また、「いじめはいけない」と伝えることは、いじめ被害者だけでなく加害者も守ることになると思います。ノルウェーのダン・オーウェルズ教授といういじめを研究している学者によりますと、ノルウェーではいじめ加害者の60%が24歳までに、なんらかの軽犯罪を犯しているという統計があるそうです。国は違えども、やはり子供の頃に「してはいけないこと」は教える必要があると思うのです。

 

私自身も小学校時代を振り返ってみれば、小さないじめの被害者にもなり、傍観者にもなり、止めなかったという意味では消極的な加害者でもあったと思います。でも、そのとき大人に、毅然と「それはいじめです。いじめはしてはいけないことです。」と言って欲しかったと思うのです。

 

最後に、「いじめはある」という前提で「いじめはいけない」というメッセージを伝えることと、「いじめはなくならない」と大人が訳知り顏でいうことは、違うことだと私は思います。

 

いじめ防止活動をしていて、一番壁になるのがこの「いじめはなくならない」という大人の考えです。中には、「いじめを乗り越えて強くなっていくものだ」というふうにおっしゃる方もいます。

 

しかし、毎日無視をされ続けたり、ものが隠されたりという経験は、果たして乗り越えるべきことなのでしょうか?社会では、それは許されることではありません。目の前で悪口を言われたら「侮辱罪」、ものを盗まれたら「窃盗罪」です。

また、「お前は汚い」と悪口を言い続けられ、自分は汚いと思い込んで毎日石鹸で自分を洗い続けるくらいに精神的に追い込まれることが、果たして本当に「大人になるために必要な経験」なのでしょうか?

 

私はそうは思いません。「人を傷つけることはいけない。」と伝え続けること、そして「いじめをなくしていこう」と大人が、それぞれの立場で努力をしていくことが子供たちの希望だと思います。

 

今日を機縁にいじめ防止の輪が広がっていくことを、心から祈ります。

 

最後に、いじめ防止授業の最後にいつも読んでいる松谷みよ子さんの「わたしのいもうと」という本を朗読して私の話を終わりにしたいと思います。

 

ご静聴、ありがとうございました。」

 

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