日本を見直そう♪ オランダの統治の仕方

日本を見直そうシリーズ、オランダの統治の仕方まできました。

 
なぜ、日本を見直そうーなのに、西欧のことばかり???と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、「比較」のためです。
 
このシリーズの1番最初のエントリーで、日本の大航海時代はwin-winだったということをご紹介しております。
 
その後の、西欧の大航海時代と違っていることは、お判りいただけたと思います。
 
今度は、統治の仕方について比較のために、オランダの統治の方法を、ご紹介しますね。
 
オランダの統治下では、
原住民は、教育がなされませんでした。読み書きができないまま放置するという「愚民化政策」が基本です。
 
この方針によって、三世紀に及ぶオランダ支配の中で、教育を受けたインドネシア人は、わずか数千人しかいません。ポルトガルなども同様の愚民化政策を進めていました。
 
もう1つの特徴は、徹底した分断政策です。集会、団体行動は禁止。320の各部族を、1つの標準語にすることも許さず、インドネシア人としての民族意識を奪い、原住民はプランテーションの奴隷としてこき使われたのです。
 
コーヒー、サトウキビ、茶、肉桂などの「強制栽培制度」を導入し、徹底的に搾取しました。
 
また、オランダ統治の巧妙だったところは、自分は決して表に立たず、間接統治で臨んだ点です。
 
統治は、地元の代表である土侯に、流通は華僑に委ね、搾取による憎悪は全て華僑や土侯に向かうように仕組みをつくり、自分たちは美味しい汁をたっぷり吸うという方法でした。
 
しかも、表向きは東インド会社という会社組織で、国家は前面に出ないという用心深さもありました。
 
さらに、混血政策をとり、インドネシア人との混血を、中間階級にして、民族の分断を図りました。
 
これはポルトガル東チモールで、スペインが中南米支配で行ったことと同じで、植民地を永続支配するための手段だったのです。
 
こうした「ハーフカースト(ヨーロッパとアジア人の混血)」は、教育を施され、宗主国のために原住民を監督、酷使する役割を与えられます。
 
次回は、18-9世紀、イギリスについてです。
 
お読みくださり、ありがとうございます。