日本を見直そう♪ 「戦争放棄」原則はフィリピン憲法から

アメリカの味方をすれば、独立を許すという約束を反故にされたリカルドらが援助を求めたのも日本でした。

 
日本に援助を求めながら乏しい武器でゲリラ戦を展開します。
 
これを待っていたかのようにアメリカは、独立軍はゲリラだと宣言。戦争ではなく、ゲリラとの戦いなら国際法の適用を受けないからです。国際法では、殺傷能力の高い非人道的な武器の使用、捕虜の虐待、拷問の禁止が定められていますが、これらを守る必要がなくなるのです。
 
そして、アメリカがやったことはー
 
ゲリラ戦でアメリカ兵が1人死ぬと、捕虜を1人以上殺し、大量の水を飲ますなどの拷問も行います。
 
サマール島では、30数人のアメリカ兵が殺された報復として、女性を含めサマール島ならびに隣の島の住民2万数千人が皆殺し、アギナルドの故郷でも、田畑は焼き払われ、家畜も一頭残らず殺されました。その数は50,000と言われています。
 
1902年、約20万人の犠牲を出して、独立軍は鎮圧されます。
 
このとき、フィリピンの初代軍政務官となったアーサー.マッカーサー陸軍少尉、副官のダグラス.マッカーサー中尉が行ったことを確認します。
 
アメリカは、フィリピンに独立を約束した後、永遠に支配するために憲法戦争放棄の条項を盛り込ませました。
 
日本国憲法は、このフィリピン憲法を下敷きにして作られたものです。
 
GHQがたった一週間で日本国憲法の草案を書き上げることができたのは、もともとフィリピン憲法もいう下書きがあったからなのです。
 
フィリピンを得たアメリカは、グアム、サモア群島と太平洋上の島々を手中に収めます。
 
そして、アメリカの侵略のフロンティアはいよいよ東アジアに迫ってきます。