日本を見直そう♪ 西欧と日本のメンタリティの違い
16世紀から20世紀に至る西洋諸国の非白人地域の植民地分割の歴史をたどると、まさに弱肉強食の世界でした。
仙台のいじめ自殺 遺族側が提訴
日本を見直そう♪シリーズも途中ですが、本日このような報道がありましたので、こちらについて触れたいと思います。
記事には
訴えによると、館中に14年4月に入学した生徒は、同学年の男子生徒から仲間外れや悪口、からかいなどのいじめを繰り返し受けて自殺した。
遺族側は市教委の第三者委員会の報告書を基に「いじめは入学直後に始まった。部活を休んだことを『仮病』『サボり』と言われたり、級友らとプールに行き置き去りにされたりした」などと主張。市の責任については、教員が加害行為を把握しながら適切な指導をしなかったとしている。
とあります。
この事件の経緯を掲載した記事は下記にあります。
この事件は以前にも、いじめ自殺の事実を加害生徒以外には告げず、「転校した」と担任が他の生徒に報告した事件としてご紹介したことがあります。
どうやら、市教委がいじめ自殺について発表した後、学校周辺で取材する報道関係者らに対しては、同校の教諭らが「うちの学校だという証拠があるのか」と否定を装ったようです。
校長は「市教委に聞いてほしい」の一点張り。28日夜の河北新報社の取材には「駄目、駄目。警察呼びますよ」と拒否したとか。
また、提訴の前に遺族は、「調停」によって何があったのかを明らかにしたかったようですが、加害者側が「いじめはなかった」として調停を拒んだとあります。
本当に、いじめがなかったならば、被害生徒が自殺した時点で、どうして他の生徒には「転校した」と説明し、一部の生徒には自殺の事実を告げていたのか、謎がのこります。
また、第三者調査委員会の調査の内容とも矛盾します。
ある生徒は「先生たちの対応が怖い」とつぶやいたと言います。
男子生徒は「いじめが収まらない」と自殺の直前に言い残していた。12歳の少年が絞り出した叫び声が、実体を持って受け止められずにいるこの事件ですが、実は日本中で似たようなことが起きているのです。
ただ、いじめ自殺事件、や自殺に至らなくても、行政を相手取った訴訟、加害者を提訴した事例では、残念ながら、「勝訴事例が少ない」の実情です。
勝訴事例としては、
1886年2月 東京都中野区区立富士見中学校
中学2年男子生徒が、いじめを苦に自殺。
調査の結果、「葬式ごっこ」などが行われていたことが判明し、
しかも教師4人もそのいじめに加担していたことが発覚した事件。
保護者は、学校設置者、加害生徒2名の保護者を相手に
総額2,200万円の損害賠償を請求。
1991年、東京地裁は、学校の安全義務違反に基づく慰謝料300万円と、
弁護士費用100万円の支払いを命じています。
さらに1994年には、高裁より、中野区および加害同級生2人に対して1,150万円
(慰謝料1,000万円、弁護士費用150万円)の支払いが命じられました。
1994年7月 神奈川県津久井町町立中野中学校
中学2年男子生徒が、いじめを苦に自殺。
両親は、学校設置者に対しては“注意義務違反”および“報告義務違反”を理由に
8,000万円の損害賠償を請求。
加害生徒10人に対しては、共同不法行為責任で
各100万円の損害賠償を請求しました。
2000年には横浜地裁で勝訴。
県・町に対して3,947万円、
加害生徒9名に対しては軽200万円の支払いを命令しています。
さらに、2002年には東京高裁で勝訴。
県と町に対しては2,160万円、
加害生徒9名に対しては120万円を連帯して支払うよう命令しています。
の2点が主な事例で、その他多数はほとんど敗訴をしています。
自殺といじめの因果関係の立証が困難であるというのがその理由です。
いじめのの事実があったことまでは認めるのですが、自殺との因果関係については「自殺は複合的な理由」とされることが多いのです。
2013年のいじめ防止対策推進法が施行されてからの、いじめ自殺事件提訴、今後をしっかりと見守っていきたいと思います。
日本を見直そう♪ アメリカと日本
アメリカと、日本は衝突するのは必須だったーということを確認したいと思います。
日本を見直そう♪ アメリカの勢力拡大
ハワイを強奪、米西戦争を仕掛け、西へ西へと勢力を拡大したアメリカの太平洋西進の最大の狙いは中国大陸での権益の獲得でした。
日本を見直そう♪ ロシア
アメリカについては、まだまだ続きますが、今日は、ちょこっとロシアについて触れていきます。
北の大地ロシアは、13世紀から15世紀までモンゴル帝国、次いでオスマントルコ帝国と東洋の支配にありました。
東洋勢力を撃退した後も、西洋からの侵略の脅威はありましたが、冬将軍という大自然の要塞があったため、決定的な侵略を受けることはありませんでした。
17世紀末、ロシアのピョートル1世の時代に、それまでツァーリズム国家(皇帝の専制君主国家)として発展してきたロシアが、膨張主義に目覚めます。ピョートル大帝は、自らイギリスやオランダに留学、西欧の思想、技術、文化を導入し、近代化に努めました。そして軍事力を強化、周辺地域の侵略に着手します。
当時のロシアの悩みは、海への出口をふさがれていることでした。冬には港が凍ってしまうためです。
不凍港の確保が、西欧諸国に追いつくためには絶対条件で、この目的のために「南下政策」が国策の基本に据えられます。以降、ロシアにとって南下政策、不凍港確保は伝統的国家目標となります。
18世紀になると、スウェーデン、ポーランドを収め、バルト海の覇権を握り、南下政策に基づいてトルコと対立し続けます。
一方、東方進出を狙って、シベリア、アラスカを領土にします。
南方政策の方はというと、シベリアからカムチャッカ半島を領有したロシアは、アヘン戦争に敗北した清の弱みにつけこんで、1858年、アムール川以北の土地を割譲させ、さらに2年後、ウスリー川以東の沿海州を譲り受けます。
こうしてロシアは、念願の不凍港をウラジオストクに得るのです。
ところで、ロシア後の
「ウラジオストク」
の意味をご存知でしょうか?
なんと、「東方支配」です。
ロシアの次の狙いは、朝鮮半島、日本列島です。
アメリカ、ロシアとみてくると、日本は侵略の危機に晒されていたことがよくわかると思います。
次、アメリカに戻りますね。
日本を見直そう♪ 「戦争放棄」原則はフィリピン憲法から
アメリカの味方をすれば、独立を許すという約束を反故にされたリカルドらが援助を求めたのも日本でした。
日本を見直そう♪ アメリカの覇権主義
アメリカは、ハワイを乗っ取った後は、スペインに戦争を挑みます。スペインの植民地支配に苦しむ人々を救うという名目です。