スクールカーストの正体

私自身は、まあ、こういう現象はあるんだろうな、どこの社会にもあるし・・・という認識ではありますが、最近、教育問題を語る場面で「スクールカースト」という言葉をよく耳にするようになってきましたので、一応読んでおきました。

 

後に具体的なことはご紹介しますが、このようなカテゴライズは、どんな社会にもあると思います。

ただ、問題なのは、学校、特に公教育では自分で選んだのではない場所で、長時間、長時間このような人間関係下に置かれることだと思います。著書の中でも

 

但し、職員室や会社のカーストスクールカーストとの間には一つだけ決定的な違いがある。それは流動性がないということだ。

と述べています。

 

スクールカーストが形成される要因の大きなものとして「コミュニケーション能力」があげられています。先日紹介した森口先生が、これを

○自己主張力

○共感力

○同調力

の総合力としていますが、これに基づいてスクールカーストを説明すると

①スーパーリーダー型生徒〈自己主張力、共感力、同町六すべてをもつ)

②残虐リーダー型生徒〈自己主張力・同調力をもつ〉

③孤高派タイプ生徒〈自己主張力・共感力をもつ〉

④人望あるサブリーダー型〈共感力、同調力をもつ〉

⑤お調子ものタイプ生徒(同調力のみをもつ)

⑥いいやつ生徒〈共感力のみをもつ〉

⑦自己チュー生徒〈自己主張力のみをもつ〉

⑧何を考えているかわからない生徒〈どれも持たない〉

とわけられ、おわかりのようにいじめ加害者になりやすいのが②でそれに⑤が追従し、いじめ被害者リスクが高くなるのが⑥⑦⑧です。

また、第5章には、教師にも父性型教師と母性型教師がいて、各人いじめ対応が異なる点も触れられています。

 

学校という組織を理解するには役立つ本ではありますが、民間企業に従事したものからするとこのような人たちや教師たちのタイプはどの組織にも存在しますが、普通の組織には「マネジメント」なるものが存在するので、それぞれのうまく生かして目的に向かって機能します。

 

しかし、今の学校という組織には、縦の理想や目標が存在せず、マネジメントも存在しないので機能不全に陥っているのかもしれないという感想を持ちました。

 

また、著書の中では、母親の家事負担がなくなったので、子供にかける時間や労力が増えた故、保護者からのクレームが増えたという教師側からの分析がされていますが、私はこれに対しては少し違った考えを持っています。

 

それは母親も職業訓練を受けた故、職業人として気になることが多くなったという点です。

 

もちろん、クレームのすべてがそうだとは言いません。

 

が、「学校」という組織しか経験せず、知らない人たちに民間企業の論理でクレームを言っても難しいということが、この本を読んでよくわかりました。

最後に著者の方は

学校はもはや、チームで動かなればほとんど運営できない、そういう場になっているのだ。父性型教師だけではやっていけない。ましてや母性型教師や友人型教師だけでもやっていけない。この三者がバランスよく機能しなければいじめ指導はおろか、ごく小さな生徒指導さえ機能させ得ない。そういう場になってきているのである。

とし、学校教育というものにポジティヴな評価を与え、これからもこの制度を維持していこうと考えるならば3つの意識改革を提案しています。

一つは学校側が協働の意識をもつことだ。〈中略〉

二つ目に、学級担任制の弊害を緩和することだ。〈中略〉

三つ目に、が旧担任制の弊害の緩和と関連するのだが、保護者(=世論)が教師個人への期待以上に学校の組織力のほうに期待するという姿勢を身につけることが必要だ。〈中略〉

公教育がJAL化している(稲盛氏が再建する前のJALのことです。)と言われて久しいです。その間、多くの子供たちが公教育を受け卒業しています。上記3つの意識改革は、組織、行政を抜本的に見直すことなくして為し得ないのではないかと文科省の方の話を聞いても現場教師の話を聞いても思えてなりません。