スクールカーストの正体

私自身は、まあ、こういう現象はあるんだろうな、どこの社会にもあるし・・・という認識ではありますが、最近、教育問題を語る場面で「スクールカースト」という言葉をよく耳にするようになってきましたので、一応読んでおきました。

 

後に具体的なことはご紹介しますが、このようなカテゴライズは、どんな社会にもあると思います。

ただ、問題なのは、学校、特に公教育では自分で選んだのではない場所で、長時間、長時間このような人間関係下に置かれることだと思います。著書の中でも

 

但し、職員室や会社のカーストスクールカーストとの間には一つだけ決定的な違いがある。それは流動性がないということだ。

と述べています。

 

スクールカーストが形成される要因の大きなものとして「コミュニケーション能力」があげられています。先日紹介した森口先生が、これを

○自己主張力

○共感力

○同調力

の総合力としていますが、これに基づいてスクールカーストを説明すると

①スーパーリーダー型生徒〈自己主張力、共感力、同町六すべてをもつ)

②残虐リーダー型生徒〈自己主張力・同調力をもつ〉

③孤高派タイプ生徒〈自己主張力・共感力をもつ〉

④人望あるサブリーダー型〈共感力、同調力をもつ〉

⑤お調子ものタイプ生徒(同調力のみをもつ)

⑥いいやつ生徒〈共感力のみをもつ〉

⑦自己チュー生徒〈自己主張力のみをもつ〉

⑧何を考えているかわからない生徒〈どれも持たない〉

とわけられ、おわかりのようにいじめ加害者になりやすいのが②でそれに⑤が追従し、いじめ被害者リスクが高くなるのが⑥⑦⑧です。

また、第5章には、教師にも父性型教師と母性型教師がいて、各人いじめ対応が異なる点も触れられています。

 

学校という組織を理解するには役立つ本ではありますが、民間企業に従事したものからするとこのような人たちや教師たちのタイプはどの組織にも存在しますが、普通の組織には「マネジメント」なるものが存在するので、それぞれのうまく生かして目的に向かって機能します。

 

しかし、今の学校という組織には、縦の理想や目標が存在せず、マネジメントも存在しないので機能不全に陥っているのかもしれないという感想を持ちました。

 

また、著書の中では、母親の家事負担がなくなったので、子供にかける時間や労力が増えた故、保護者からのクレームが増えたという教師側からの分析がされていますが、私はこれに対しては少し違った考えを持っています。

 

それは母親も職業訓練を受けた故、職業人として気になることが多くなったという点です。

 

もちろん、クレームのすべてがそうだとは言いません。

 

が、「学校」という組織しか経験せず、知らない人たちに民間企業の論理でクレームを言っても難しいということが、この本を読んでよくわかりました。

最後に著者の方は

学校はもはや、チームで動かなればほとんど運営できない、そういう場になっているのだ。父性型教師だけではやっていけない。ましてや母性型教師や友人型教師だけでもやっていけない。この三者がバランスよく機能しなければいじめ指導はおろか、ごく小さな生徒指導さえ機能させ得ない。そういう場になってきているのである。

とし、学校教育というものにポジティヴな評価を与え、これからもこの制度を維持していこうと考えるならば3つの意識改革を提案しています。

一つは学校側が協働の意識をもつことだ。〈中略〉

二つ目に、学級担任制の弊害を緩和することだ。〈中略〉

三つ目に、が旧担任制の弊害の緩和と関連するのだが、保護者(=世論)が教師個人への期待以上に学校の組織力のほうに期待するという姿勢を身につけることが必要だ。〈中略〉

公教育がJAL化している(稲盛氏が再建する前のJALのことです。)と言われて久しいです。その間、多くの子供たちが公教育を受け卒業しています。上記3つの意識改革は、組織、行政を抜本的に見直すことなくして為し得ないのではないかと文科省の方の話を聞いても現場教師の話を聞いても思えてなりません。

 

いじめの現場ー子供たちの叫び声

原題は、子どもたちの叫び声という副題がついていますが、あえて子供と書き直してご紹介いたします。

 

この本を最初に読んだときは、衝撃的で、遺書が頭から離れなかったり、現在、ただ今こんなことが進行しているなんて、信じたくないという気持ちでなかなか眠れぬ夜を過ごしたことを思い出しました。

 

今は、リアルな現場からの子供たちの声、さまざまな相談事例、他の書籍を読むことにより、かなり[免疫」がついてしまって、わりと客観的に読むことができました。

 

朝日小学生新聞や朝日中学生ウィークリーの編集部に寄せられる投書などを中心に現場の子供たちの叫び声、その周辺の大人たちの声、実際のいじめ自殺被害者遺族の声などが収録されています。

 

個人的には、地元市原市で起きたいじめ自殺事件のその後の教育委員会の対応などは読むにつけ、残念なのですが、現在、その事件を教訓として市原市教育委員会のいじめ対応やいじめ防止への理解などを見ると、変化はあったように思えますので、ほんの少しでも救われた思いがいたします。

第3章で、大平光代さんたち3人が「希望」と称して寄稿されています。

 

大平さんは、いじめ被害から非行へ、そして極道の道へと進み、その後、父の友人で後の養父となる人との出会いから、人生のやり直しをし、弁護士となって少年たちを救った方です。

 

大平さんは語ります。

今でもいじめられたことは昨日のことのように覚えています。状況や言葉もはっきりと。それがいじめる側といじめられる側の違いだと思います。親友のふりして自分を裏切った子については、私を裏切らなければあの子たちがいじめられていたかもしれないと、ようやく思えるようになったんです。

だけど、番長格の生徒は今でも許せません。心の傷は残ります。頭ではゆるさなあかんと思っても心が言うことを聞かない。もっと大人にならなければと思います。

それでも、今は自分がしたことを後悔しています。自殺を図ったことも、自暴自棄になって非行に走ったことも。いじめられていても、何か夢があればいじめばかりに目が向かなかったはず。目標に向かって生きると、いじめなんて小さいものだと思えるんです。

ところが当時の私は、何もなかった。いじめられたことが辛い、苦しい、そればかりに神経がいってしまったんですね。

中略

復讐するつもりで自殺を図っても、死んだことなんてすぐに忘れられてしまいます。犬死ですよ。私も14歳のとき、いじめた子たちに「私がどんなに苦しんだか思い知らせてやる。」と遺書を書いて、果物ナイフでお腹を刺しました。でも、命ひろいして治療でも激痛を伴い、同級生たちからは「死に損ない」とからかわれました。誰も同情なんかしてくれない。災いは自分に跳ね返ってくることがよくわかりました。

最大の復讐は自分が立ち直ることだと思うんです。私の場合は資格をとることだったんです。皆も同じように資格を取ることが立ち直りだというつもりはありません。自分が前向きな気持ちになれる何かが必ず、あるはずなんです。だからあなたも夢をもってがんばってほしい。

人間は同時に二つのことは考えられないと言います。

「いじめられて苦しい」ということだけを考えるのではなく、何か将来のことを考えられるようにサポートをしていくことが大人ができることなのではないかと考えます。

 

それには、いじめから抜け出せないのなら「転校」という選択肢を与えることもありなのかなと思うのです。

いじめの構造

いじめの構造については、2冊ほどご紹介しようと思っているのですが、まずはこちら森口先生の本です。

 

森口先生は、都庁、小学校、養護学校、都立高校を経て都庁に勤務された経験がおありなので、現場のことをよく知っていらっしゃり、きれきれの論を展開しています。

 

森口先生の言葉を借りれば「苔の生えたオールド右派」や「カビの生えたオールド左派」、そして心理カウンセラーの「いじめ論」では、もはやいじめはなくならないということにはおおいに同意いたします。

 

この本の特徴は、いわゆるスクールカースト制で、いじめを把握している点です。

 

いじめ行動は、確かに多様化しており、さらにいじめ加害者と被害者と明確にすみわけができているわけではありませんが、ここにスクールカースト」という視点を加えると、現代のいじめの構造が理解できると思います。

 

さまざまなモデルタイプが示されていますので、関心のある方は一読をお薦めいたします。

 

私は、このようなスクールカーストも、結局は個人の心の問題に帰結すると考えているのですが、他の本で現代の青少年の心理、そしてアメリカの心理学者の10代の心理からいじめを考えた結果からもこのスクールカーストで「いじめをしている者はカーストが下がる」ように様々な方策を考えるという方向性は、いじめを減らしていくうえでかなり有効だと思っています。

 

さらに、最近よくとりあげられる学校の隠ぺい体質ですが、これについては現場からの鋭い指摘があげられています。それは、隠ぺい体質があるのではなく、それぞれの別の理由によって生じる別々の現象が、外部にはあたかも隠蔽体質と映るだけという指摘です。

 

①いじめ時計調査いん「いじめなし」と回答する(してしまった)ために、いじめと認めたがらない(これが「隠ぺい体質」と言えないのは、事実を隠そうとしているわけではないからです。単に学校は「いじめ」という評価を下したがらないのです。

②日常的に理不尽な「いじめ主張」に付き合わされているために、本当に対処しなければならないいじめに鈍感になっている(鈍感さのレベルは人によります。いじめに対して比較的敏感で真摯に対応してくれるのは養護教諭だと思いますが、人によって態度が異なること自体が「いじめ隠蔽」が組織的でない証拠です。

③職員室の中に時限の低いいじめが発生している場合がある。そんな学校は当然教員のいじめに対する感受能力が通常よりも落ちるために、いじめが見すごされる危険性は高くなる。

④学校管理職の「危機対処能力」が低いために発言が二転三転し、あたかもいじめを隠ぺいしているように映る。

中略

⑤エセ人権行為(人権の名のもとに理不尽な主張をする行為)を行う団体の影響力が強い学校では、加害者の人権に配慮するあまりいじめが隠されがちである

⑥田舎で起こりがちな事件ですが、親も含めてよそ者への排除意識がある場合には、学校ぐるみ・町ぐるみでいじめを隠ぺいしてしまうことが起こる。

ともあれ、結果的に多くのいじめが隠ぺいされていることに間違いはありません。いじめを解決するためには、学校が敏感にいじめを認識する、認識したら対処するというあたり前のシステムを構築することが不可欠です。

確かに、意図的な隠ぺい体質とは言えないのかもしれませんが、結果的に「隠ぺい」になってしまうという点は、普通の民間企業だったら顧客から「隠ぺい体質」と評価され、見捨てられるところではありますが、学校という組織はそのような外部評価にさらされる機会が少ないので問題に気づき改善する機会を失ってしまったのかもしれませんね。

 

仏教だったか「知っていて犯す罪」と「知らずに犯す罪」のどちらが重いかという議論があり、法的には故意犯のほうがもちろん、罪は重いのですが、宗教的は「知らずに犯す罪」の方が重いという考え方があります。(知っているものは、反省、修正ができるが、知らないものはその基準すらないからというのがその理由ですが、法的に言えば、「規範意識」が欠如している状態とも言えます。)

 

書籍の内容に戻りますが、いじめ問題に対しては

「規範の内面化」と「いじめ免疫の獲得」という方向性を掲げており、

 

先生は様々な手段を甲いていじめを予防する。それでも時折先生の目を盗む小さないじめが起きる。調子にのっていじめっ子がやりすぎると先生に見つかって大目玉を食う。そんな経験を繰り返しながら『規範の内面化』と『いじめ免疫の獲得』が同時進行していく

ことをあたり前の学校の姿としています。

そのために

①校内犯罪には、即時出席停止、警察官による逮捕、家庭裁判所による審判、少年院送致や強制転校といった措置を取ることで、もっとも凶悪ないじめから児童・生徒を守る。

②被害者が被害を訴えてきたときには、精神科医スクールカウンセラーの意見を尊重し、学校がいじめを確認できなくても転校を許可することで、もっとも弱い被害者を守る。

という「いじめのセーフティネットが提案されています。

 

現場の先生が委縮していては、子供たちによい影響を与えない、だからといって国民や保護者からすれば自殺するまでいじめを放置し、その上隠ぺいしようとしていた学校を信用しろと言っても無理な話であり、この矛盾する要請の答えとしてこの本の内容を示しています。

 

確かに、もっと学校の先生に本来の仕事をいきいきとしていただき、信頼できる学校を保護者も国民も望んでいるので、難しいかもしれませんが、それを目指すという方向性を示唆したこの本は保護者や国民にも、そして学校関係者にも参考になることが多いのではないかと思います。

いじめこうすれば防げる ノルウェーにおける成功事例2

いじめ こうすれば防げるのつづきになります。

 

家庭で参考になる箇所をご紹介していきます。

具体的なプログラムも盛りだくさんなので、教育界の方で具体的なことをお知りになりたい方は実際の本を読んでみることをお薦めいたします。

 

典型的ないじめっ子といじめられっこの特徴が紹介されています。

著者のダン教授は、13万人もの小中学生へのアンケートをベースにしています。

 

私どもいじめから子供を守ろうネットワークの相談件数が9000件ですが、まだまだサンプル数としては足元にも及びませんので学んでいきたいと思います。

 

【典型的いじめっ子の特徴】

典型的ないじめっ子のはっきりとした特徴は、いじめの定義が暗示するように仲間の生徒に対して攻撃的であることだが、こうした子供は教師、両親などの大人に対しても攻撃的であることが多い。いじめっ子は普通の子供に比べて、暴力及び暴力的手段に訴えることを好み、衝動的で他人に優越したい欲求が強い。彼らはいじめられる生徒に対してほとんど同情心をもたない。また、自分自身を比較的肯定的に見ており、男子の場合は平均的な少年、特に自分がいじめられている子供よりも身体的に強健であることが多い。

最近はいじめ防止対策推進法案ができたことにより、「いじめは犯罪」という認識が増えましたが、私がいじめ問題に取り組み始めたころは「加害者にも人権がある」「加害者にも理由がある」とよく言われました。特に、心理学の分野の方からは「いじめっ子の心理的ストレスを取り除くことが大切だ。」と言われました。これに関して、ダン教授によりますと

心理学者や精神療法家の間では、攻撃的で粗暴な行動様式を持っている人は、「一皮むけば」実際には不安感が強く、自信がない、と考えられている。そこで私はいくつかの研究で「間接的な方法」〈ストレス・ホルモンや特殊な性格検査など)を使って、いじめっ子は不安館が強く自信がないのかどうかを調べたが、そのようなことを支持する結果は全く得られず、むしろその反対であった。いじめっ子には不安感はあまり見られないか、みられても、だいたい平均程度であった。また自信にかけるということもなかった。

としています。注目すべき「いじめの心理的動機」ですが、

 

いじめ行動の根底には、少なくても3つの相互に関連した心理的動機があるとし、

1、力と優越に対する欲求が強く、他人を「支配」することを喜び、他人を服従させずにはおれない欲求がある

2、彼らの多くが育った家庭環境を考えると、彼らの心の中には、周囲に対するある種の適意があり、人を傷つけたり悩ませ足りすることによって、それらの感情や衝動を満足させていると考えられる

3、彼らの行動には「利益をもたらす要素」がある。彼らはしばしば、いじめられっ子に、お金、たばこ、ビールその他高価なものを貢ぐことを強制する。さらに、彼らは攻撃的行動によって自分の威信を高めている。

 

としています。これから紹介していく本の中で述べられているアメリカの別の心理学者も同様のことをのべていることから、いじめっ子はいじめ行動によって、何等かの欲求を満たしていることがわかります。

 

この攻撃的な子供を作る家庭環境として

第一に、両親、とくに子供の面倒を直接見る人〈多くの場合母親)の少年に対する情緒的態度、ことに子供の幼少時における基本的態度が非常に重要である。それらの人に子供への温かみと関心が不足し、子供に対して拒否的な態度をとっている場合、その子供が後になって他人に攻撃的で敵意を持つようになる危険性が高まる。

第二の重要な要因は、子供の面倒を直接見る人がどの程度、子供の言いなりになり、子供に攻撃的行動を許したかということである。そういう人が子供の攻撃的行動にはっきりした制限を設けることもなく、ただ子供のなすがままに任せている場合には、やがてその子の攻撃的傾向が高まる可能性が高い。

この二つの要因をまとめると

あまりにも愛情と世話が「少なく」、あまりにも自由が「多い」ことが攻撃的行動の発展に強く結びつく条件だといえる

とあります。

 

第三の要因は、両親が子供に対して力で押さえつける育児方法〈体罰や暴力で感情的な叱責など〉をとることである。中略 子供の行動にはっきりした制限とある種のルールを設けることは重要であるが、しかし、それは体罰などの暴力的方法によってなされるべきではない。

最後に、子供御気質もまた、部分的に、攻撃的行動を生み出す役割を果たす。活動的で「激しやすい」気質の子供は、普通の子供よりも攻撃的な若者になりやすい。

としていますが、この要因は、最初の二つの要因に比べると小さいそうです。

 

そして、結論として

養育時における親の子供への愛情と関心、してよいこと、してはいけないことのはっきりしたけじめ、暴力を使わない養育方法が、調和のとれた独立心のある子供をつくりあげる

としています。

家庭の役割は大きいですね。

 

次に、どんな理由があってもいじめはいけないので、書くのはどうしようかと思ったのですが、「予防的観点」の意味も含めて、「いじめられっ子」についてです。

 

典型的いじめられっ子の特徴として

受身的いじめられっ子は、不安感が強く、自信がなく、その上用心深く、神経質でおとなしい。中略 このタイプの子の行動と態度は「私は攻撃されたり侮辱されても仕返しをしない、不安で勝ちのない人間だ」というシグナルを他の生徒に送っているように見える。このような受身的いじめられっ子の特徴は、不安または従順な反応様式に身体的ひ弱さが結びついていることである。

としています。またもう一つのいじめられっ子として

〈それは少数であるが〉不安感と攻撃的様式が結び付いた挑発型いじめられっ子である。こうした子は過剰に活動的てで、集中力に欠け、周囲にいらいらと緊張をまき散らし、多くの生徒を刺激し、時にはクラス全員の拒否反応を引き出す。

としています。

 

いじめられっこの家庭環境については、いじめっ子ほど詳細な研究はされていないようですが、

典型的いじめられっ子は、平均的な少年に比べて、両親、とくに母親との関係が緊密なことである。

としています。

そして

不安感が強く、自信のない子を持つ母親は、その緊密な関係を過保護に終わらせず、将来わが子がいじめられないようにしてやるためには、その子が独立心と自信を持ち、仲間の中で自分を主張できる能力を身につけるよう助けることが重要である。

と結論づけています。

 

いじめ問題の古典と言われるだけあり、そのサンプル数も多く、非常に学び多い一冊です。

いじめ問題にかかわる方は、一読されるとよいと思います。

 

いじめこうすれば防げる ノルウェーにおける成功事例

今回は、イジメ問題に関する古典と言われる本のご紹介です。

 

「いじめ こうすれば防げる ノルウェーにおける事例」

 

序論で訳者の方がこう書かれています。

学校でのいじめはずっと昔からあった現象である。ある生徒が仲間からのしつこい嫌がらせや攻撃にあっている様子は、文学作品にも描かれてきたし、また多くの大人は自分でも学校時代に経験したことである。このように、いじめはおおかたの人にとってなじみ深いものであるが、いじめについて組織だった研究がはじめられたのはごく最近ー1970年代の初頭ーになってからである。いじめの研究は長い間おもにスカンジナビアに限られていたが、1980年代の終わりから1990年代のはじめにかけて、日本、イギリス、オランダ、カナダ、アメリカ、オーストラリアなどの国々においても、一般の人々や研究者の注目を集めるようになった。

この本は、いじめを科学的、そして学問的に研究した点、そして、実際にノルウェーという国で政府が主導していじめ防止プログラムを立ち上げ、その後のそれについての追跡調査をしたものをまとめたもの、という点でいじめ問題に関して普遍的なことが学べる本です。

 

そのような非常に内容の濃い本であります。

 

例えば、

 

☆休み時間の監督といじめの関係

 

☆典型的「じめられっこ」の特徴

 

☆典型的「いじめっこ」の特徴

 

☆いじめと成績の関係

 

など、いじめに対して多角的なアプローチを試みています。

 

具体的ないじめ防止プログラムは、本を読んでいただくとして、第4部の「いじめ防止プログラムの核心」から、参考になる点、そして第1部いじめの実態と発見の指針から参考になる点をご紹介したいと思います。

 

「いじめ防止プログラムの核心」として、前提として「大人側の問題意識と真剣な取り組み」があげられています。第3部では、4つの実践的目標

 

1、イジメ問題に対する関心を高め、知識を蓄積して、イジメとその原因に関する謝った通年を打ち破ること

 

2、教師と親の積極的かつ真剣な取り組みを実現させること

 

3、いじめに対する明確なルールを作ること

 

4、いじめの被害者を力づけ、保護すること

があげられていますが、これもまずは「大人側の問題意識と真剣な取り組み」が前提とあるかと思います。

 

長くなりましたので、続きは次回としたいと思います。

いじめは犯罪絶対に許さない!

今回からすこしずつ、今まで私が読んだ「いじめ問題」の本をご紹介していきたいと思います。

 

いじめ防止活動の輪が広がればいいなあ、後を引き継いでくださる方がいるといいなあという思いを持ちつつ・・・。

 

まず、最初はこれですね。

私がいじめ問題に対する基本的な考えを学び、活動において育てていただいたのは「いじめから子供を守ろうネットワーク」です。

 

その初代代表が書かれて、渡辺昇一先生も寄稿されているブックレットは今は在庫ゼロになっておりまして・・・

 

現代表が書かれている本がこちらなのです。

 

ここには、いじめから子供を守ろうネットワークの基本的なスタンスがたくさん詰まっています。

 

イジメ問題というと、実際に当事者になってみてから、あれこれ調べたり、動いたりということが多いかと思いますが、日頃の生活の中で参考になる点をご紹介したいと思います。

 

第3章で「日頃のコミュニケーションがいじめ発見につながる」

とあります。

 

イジメ問題のむずかしさは、事件が表面化せず、水面下で進んでしまうことですが、できるだけスムーズに子供から相談をしてもらうには日頃から親子間のコミュニケーションをとっておくことが大事だとかかれています。日常生活で全く会話がない親子が、いじめ事件が起こってからあわてて関係を修復しようとしてもうまくいかないのです。

 

これは、同じで第3章で

いじめ問題を何例も見てきて、一つ気づいたことがあります。親が「私が守る」ということを子供に伝えられたとき、子は親から愛されていることを実感するんだと知りました。そんな子供たちはいじめによる心の傷を乗り越える力を発揮することが多いのです。

とありますが、そこにも通じるのかなあと思います。

実際、いじめを乗り越え、前向きな人生を歩んでいく人たちにも「親との良好な関係」がポイントになっているように感じています。やはり、人間関係の基本は、最初の他者である親との関係なんですね。

 

また、これは実際にいじめ問題が起こってからのことですが、いじめ解決のゴールは「謝罪」です。加害者から被害者に対する謝罪です。

 

同じく本書の第3章には、いじめ加害者からの謝罪を受けた元いじめ被害者の事例が紹介されています。

 

その為の方法論もたくさん詰まっている本です。

 

いじ目問題の基本にたち返るために、定期的に読み返したい本だなあと思いました。

いじめられている側にも原因があるという意見に対するはるかぜちゃんのさすがコメント、そして・・・。

以前にもLINEいじめについて秀逸な意見を述べ、また、朝日新聞のコラムに「いじめっ子へ」のメッセージを寄せたはるかぜちゃん、また「いじられる側にも原因がある」に対して相変わらず鋭い意見を述べてくれました。

http://togetter.com/li/1038210

 

「いじめられる側に原因があるか聞かれたら 完璧な人間はいないので ある、と答えざるをえません けれどそれは、いじめる側が原因を相手の中に「見つけた」だけのことだと思います まずいじめる側に、誰かをいじめたいという目的(結果)があって その目的に向かって、原因を探し出されたのです。」

 

これは、アドラーの心理学的観点にも通じるご意見かと思います。

 

また、いじめっ子は「いじめる原因」を見つけます。

基本スタンスが「いじめる」なのです。

 

痩せていてもいじめられるし

太ってもいじめられます。

 

成績が悪ければいじめられるし、

優等生でもいじめられます。

 

つまり、原因があるからいじめるのではなく、「いじめる原因をみつけて」いじめるのです。

 

少し、観点をかえますが・・・

私は時々「いじめられたトラウマ」を抱えているという方から相談を受けることがあります。

 

少々厳しい言い方になりますが、いじめられた子が全員、トラウマを抱えて社会不適応になっているかというと、そうではありません。

 

多少スランプでも、目標を持って努力している人もいれば、中には感謝している人もいます。

 

「いじめらたこと」にとらわれて前に進めて人の中には、

 

「前にすすまない」

「不幸を選択する」

 

という立場を自分で決めて、その原因を「いじめられた経験」に見つけている人もいます。

 

いずれにせよ、人間はまず「こうする」という思いが行動を決めるということです。

 

いじめトラウマにとらわれている君へ

「いじめるというスタンスに立つような卑劣な人間に自分の人生を支配されるのは、もうやめませんか?」